【大分の記憶】子どもの頃、じいちゃんばあちゃん家、よう行きよった?

夏休み、お盆、正月――ごちそうと遊びと「帰りたくない」が残る祖父母の家の記憶

子どもの頃、じいちゃん・ばあちゃんの家、よう行きよった?

毎週のように遊びに行く。

お盆や正月になると家族で行く。

夏休みになると何日も泊まる。

あるいは、最初から三世代同居で、じいちゃん・ばあちゃんが毎日の暮らしの中にいる。

大分県民に聞いてみると、その距離感は家庭によって本当にさまざまでした。

でも、話を聞いていると共通して出てくるものがあります。

ごちそう。
いとこ。
お小遣い。
田舎の遊び。
じいちゃん・ばあちゃん独特の言葉や習慣。

そして、

「帰りたくなかった」

という気持ち。

今回は、子どもの頃の「じいちゃん・ばあちゃん家」の記憶をたどってみます。


1)毎週行く人もいれば、お盆と正月だけの人もいた

祖父母の家との距離感は、本当に家庭それぞれでした。

近所なので、しょっちゅう行っていた。

お盆と正月には必ず行った。

夏休みだけ泊まりに行った。

父方にはあまり行かなかったけれど、母方にはよく行った。

そんな声があります。

大分市の50代からは、

「母方の実家にはしゃっち行きよったけど、父方にはそげえ行きよらんかった」

という記憶も。

同じ「じいちゃん・ばあちゃん」でも、父方と母方で距離感が違う家庭も珍しくなかったんやね。


2)そもそも一緒に暮らしていた。「行く」という感覚がない家庭も

一方で、三世代同居だった人にとっては、

「じいちゃん・ばあちゃん家へ行く」

という感覚そのものがありません。

毎日起きれば、そこにじいちゃんとばあちゃんがおる。

そんな暮らしです。

印象的だったのが、祖父だけ小ぶりな御膳で先に食事をしていたという記憶。

祖父が食べ終わるまで、ほかの家族は食事を始めない。

幼かった孫が祖父のそばへ行くと、

「こっちにこんで!」

と母親から呼び戻されたそうです。

今ではあまり見かけない家族の習慣ですが、当時の家庭の空気まで伝わってくる記憶です。


3)夏休みは、じいちゃんばあちゃん家に“泊まりに行く”

夏休みになると、祖父母の家に何日も泊まっていた人も多くいました。

田染。

国東。

久住。

蒲江。

津久見。

延岡など県外まで。

近くの祖父母宅へ一泊する人もいれば、遠くから何時間もかけて帰省する人もいます。

子どもにとっては、「祖父母に会いに行く」というより、

夏休みの生活場所が一時的に変わる

くらいの感覚だった家庭もあったのかもしれません。


4)昔は、じいちゃんばあちゃん家へ行くだけで一日仕事だった

今なら高速道路で数時間という場所でも、昔はかなり時間がかかりました。

大分市から父方の実家へ向かうのに、高速道路のない時代は一般道で3時間ほど。

でも、その道中も思い出です。

水分峠のドライブインへ寄るのが楽しみだった。

別の人は、広島から特急で小倉へ。

そこから「にちりん」に乗り換え、津久見まで一人で向かいました。

駅ではじいちゃんが待っている。

今振り返ると、祖父母の家そのものだけでなく、

そこまで向かう汽車や車の時間まで含めて、夏休みだった

んやろうね。


5)親が忙しいから、子どもだけ祖父母の家へ

祖父母の家は、親にとって頼れる場所でもありました。

仕事が忙しい母親が、毎年子どもを祖父母の家へ行かせていたという人も。

子どもだけで泊まりに行く。

夏休みの宿題を、祖父母が営む食料品店の奥でする。

駅までじいちゃんが迎えに来てくれる。

親とは離れているのに、不思議と寂しくない。

むしろ、

「夏休みが来た!」

という感覚だった人もおったんやろうね。


6)いとこが集まると、じいちゃんばあちゃん家が急ににぎやかになる

お盆や正月には、いとこが集まる家庭も多くありました。

普段は静かな祖父母の家が、その時だけ一気ににぎやかになる。

延岡の祖父母宅では、お盆になるといとこが10人近く集合。

昼間は川で泳ぎ、

スイカやトウモロコシを食べ、

牛の世話について回る。

夜はクーラーのない座敷に蚊帳を吊り、みんなで雑魚寝。

今ならなかなかできない人数ですが、子どもにはしんけん楽しかったやろうね。

夏休みの宿題「夏の友」を祖父母宅に忘れ、あとから郵送してもらったというオチまで残っています。


7)じいちゃんばあちゃん家では、いつもと違うものが食べられた

祖父母の記憶をたどると、やっぱり食べ物が強いです。

七輪で焼いてくれたトウモロコシ。

おばちゃんの漬物。

いつも山盛りにしてくれるご飯。

牛乳に少しだけコーヒーを入れたコーヒー牛乳。

お饅頭作り。

そして、お盆や正月のごちそう。

子どもにとっては、特別な料理じゃなくても、

「ばあちゃん家で食べるからうまい」

というものがあります。

ばあちゃんが作った味って、大人になってから再現しようとしても、なかなか同じにならんのよね。


8)庭で遊んでいたニワトリが、夜には唐揚げに

豊後高田の祖母宅では、都会から引っ越してきた小学生にとって衝撃的な出来事もありました。

昼間、庭先で遊んでいたニワトリ。

その夜。

食卓に唐揚げが並ぶ。

子どもにはかなりの衝撃です。

でも大人になって振り返ると、

あれは田舎の家なりの最高のおもてなしだった

と分かるようになったそうです。

そして、

「結局、食べたらおいしかった」

というところまで含めて、しんけん強い思い出です。

都市部と農村部で暮らし方が大きく違った時代ならではのエピソードやね。


9)じいちゃんとしかできない遊びがあった

じいちゃんとの思い出も個性的です。

蒲江では、小さな「てんません」に乗って魚釣り。

櫓一本で漕ぐ小舟なので、魚が釣れている時は夢中になれるけれど、釣れない時には船酔い。

別の家庭では、じいちゃんと一緒に餃子作り。

また別の人は、父親と毎週のように祖父宅へプロレスを見に行っていました。

なぜ祖父宅なのかというと、

アンテナを回すと県外のテレビ放送が映ったから。

ジャイアント馬場やアントニオ猪木の日本プロレスを見るため、毎週じいちゃん家へ。

祖父母の家には、家ではできないことが何か一つあった家庭も多かったのかもしれません。


10)ばあちゃん家には、“そこにしかないもの”があった

子どもの目から見ると、祖父母の家は不思議なものだらけです。

ある家では、じいちゃんの席の前にいつもカンロのナッツボンの缶。

孫はそこから少しずつもらう。

別の祖母は、砂糖のことを、

「シュガー」

と呼ぶハイカラな人だった。

そんな何気ないクセまで、何十年たっても覚えています。

大人にとっては何でもない日用品や言葉が、子どもには、

「ばあちゃん家にしかないもの」

として記憶されるんよね。


11)祖父母の仕事を眺めるのも、立派な遊びだった

祖父母が農家や商店をしていると、その仕事も子どもの遊びの一部になります。

選果場へついて行く。

ビニールハウスを見る。

牛の世話について歩く。

食料品店の奥で宿題をする。

津久見では、祖父母宅が当時市内でも知られた盆栽屋敷だったという人もいました。

軒先や展示室、さらには屋根の上まで、およそ千鉢ほどの盆栽。

台風が来るたび、その大量の盆栽を屋根から室内へ移動する。

子どもの頃に手伝った光景が、今でも鮮明に残っているそうです。

遊園地へ行かなくても、じいちゃん・ばあちゃんの仕事場そのものが珍しかったんやね。


12)夏祭り、花火、水族館――祖父母との“お出かけ”も覚えている

ずっと家の中にいたわけでもありません。

祖父母宅の近くの夏祭り。

庭で花火。

水族館へお出かけ。

福良天満宮や学校で遊ぶ。

近所の公園を散歩。

祖父母と一緒に出かけた場所も、それぞれの記憶に残っています。

場所そのものよりも、

「じいちゃんと行った」
「ばあちゃんと行った」

ことの方が大事だったりします。

同じ水族館へ今行っても、子どもの頃とはまったく違って見えるんやろうね。


13)お小遣いとお年玉も、やっぱり楽しみだった

もちろん子どもですから、現実的な楽しみもあります。

お年玉。

お小遣い。

漫画を買ってもらう。

お盆や正月になると祖父母の家へ行き、

「お年玉をようけもらいに行きよった」

という正直な思い出もありました。

でも、そういう動機で会いに行っていたとしても、何十年後に残っているのは金額ではありません。

ばあちゃんの言葉。

家の匂い。

食べたもの。

一緒にいた時間。

結局、そこが面白いところです。


14)近い祖父母と、遠い祖父母では思い出も違う

今回の声を見ていると、「地域差」以上に強いのが距離の差です。

徒歩圏内。

同じ市内。

県内だけれど数時間。

県外。

遠ければ、お盆や正月の大イベントになる。

近ければ、

「ちょっとばあちゃん家行ってくる」

くらいの日常になる。

だから、

「毎週行きよった人」と
「年に1、2回しか会わなかった人」

では、祖父母との思い出の形そのものが違います。

どちらが濃いということではなく、距離によって“特別な日”になるか、“日常”になるかが変わるんやね。


15)今はもう、家そのものが残っていないこともある

今回の中には、

「もう全部なくなった」

という言葉もありました。

祖父母が亡くなる。

店を閉める。

家がなくなる。

町並みが変わる。

子どもの頃には、

「毎年また来られる」

と思っていた場所でも、ずっとそこにあるとは限りません。

だからこそ、

食料品店の奥で宿題をしたこと。

屋根の盆栽を運んだこと。

蚊帳の中でいとこと寝たこと。

そういう何でもない日の記憶が、あとになって大切になるんやと思います。


16)結局、じいちゃんばあちゃん家で何しよった?

今回の声を並べてみると、

  • 夏休みに泊まる
  • お盆・正月に集まる
  • いとこと遊ぶ
  • 川で泳ぐ
  • 釣りへ行く
  • カブトムシを捕る
  • 花火をする
  • 夏祭りへ行く
  • 牛や農作業について回る
  • 店の奥で宿題をする
  • テレビを見る
  • カードや花札、トランプ、オセロで遊ぶ
  • お小遣いやお年玉をもらう
  • とにかくご飯を食べさせてもらう

など、本当にいろいろ。

でも、どれも派手なイベントというより、

じいちゃん・ばあちゃん家でしかできなかった普通の時間

なんよね。


まとめ――覚えているのは、「何をしたか」より家の空気かもしれない

じいちゃん・ばあちゃんの家の記憶を聞いてみると、しんけん細かいところまで残っています。

カブトムシを顔につけられて泣いたこと。

ドライブインへ寄ったこと。

ニワトリが唐揚げになったこと。

じいちゃんのナッツボン。

七輪で焼いたトウモロコシ。

蚊帳の中でいとこと寝たこと。

船酔いしながら魚を釣ったこと。

ばあちゃんが山盛りにしてくれたご飯。

どれも、その時には特別だと思っていなかったことばかりです。

でも大人になって振り返ると、

じいちゃんばあちゃん家へ行くこと自体が、特別だった。

家の匂い。

畳。

庭。

食卓。

じいちゃんとばあちゃんの声。

そういうもの全部が合わさって、記憶の中の「じいちゃんばあちゃん家」になっちょるんやと思います。

もうその家がなくても、場所が変わっても、

「あの頃、よう行きよったなぁ」

と思い出せる。

それもまた、大分の子ども時代の大切な記憶なんやろうね。


※この記事は、SNSで行った「子どもの頃、じいちゃんばあちゃん家、よく行きよった?」という呼びかけに寄せられた声をもとに整理したものです。


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