喜寿世代から今の子どもまで残る、“友という名の宿題”の記憶

小学生の頃、夏休みの宿題に「夏の友」ってあった?
大分県民にとっては、聞くだけで「あった、あった!」となる名前かもしれません。
薄い冊子の中に、国語や算数、作文、観察、実験、天気の記録。夏休みが始まった時には「今年こそ早めに終わらせる」と思うのに、気づけば8月の終わり。
そして最後には、
「こんなん友じゃねぇ」
「夏の敵じゃ」
「勝手に友達になるな」
と文句を言いながら、必死に空欄を埋める。
今回集まった記憶を見ると、「夏の友」は県内のかなり広い地域で使われ、世代を超えて受け継がれてきた宿題だったようです。
ただし、すべての学校・地域・年代で同じだったわけではありません。呼び方や中身、今も残っているかどうかには違いがありました。
今回は、大分県民の夏休みに入り込んでいた「夏の友」の記憶をたどってみます。
1)「夏の友」は、大分県内のかなり広い地域にあった

今回、「夏の友があった」と声が上がった地域はかなり広範囲でした。
- 大分市中心部・東部・中部・南大分・稙田
- 別府市
- 臼杵市
- 津久見市
- 佐伯市・旧南海部郡
- 豊後高田市
- 県北
- 県南
- 県南部
など。
大分市や別府だけではなく、県北から県南まで名前が挙がっています。
少なくとも今回の回答を見る限りでは、「一部地域だけの宿題」というより、大分県内の多くの小学校で知られていた教材と考えた方が近そうです。
ただし、学校単位で採用や内容が違った可能性もあります。「大分県内のすべての小学校に必ずあった」とまでは言い切れません。
それでも「あった!」という反応の多さを見ると、大分県民の夏休みを語るうえで外せない名前なのは確かです。
2)喜寿世代から20代、今の子どもまで続く記憶

「夏の友」が興味深いのは、思った以上に世代の幅が広いことです。
1950年代生まれ、1960年代生まれの人からは、子どもの頃に当然のように配られていたという声がありました。
喜寿を迎えた人も、
「もらった時は早めに全部済ませようと思うけど、結局は夏休みの最後に慌てていた」
と振り返っています。
40代、50代、60代にも「夏の友」の記憶は濃く残っています。さらに30代や20代からも「あった」という声がありました。
そして現在の子どもについても、
- 数年前まで子どもの宿題にあった
- 中学生になった娘も小学校時代に使っていた
- 別府では今もある
- 佐伯では現在「なつマスター」という教材になっている
という話が出ています。
昔の宿題というだけではなく、形や名前を変えながら、比較的最近まで続いてきた地域もあるんやね。
3)「夏の友」と「夏休みの友」、地域で名前が少し違う

大分県内では「夏の友」という呼び方が多かった一方、「夏休みの友だった」という記憶もありました。
県外からは、
- 福岡では「夏休みの友」
- 北九州でも「夏休みの友」
- 宮崎県延岡市でも「夏休みの友」
という声が寄せられています。
つまり、「夏の友」や、それに近い名前の夏休み教材は、大分県だけに存在したわけではなさそうです。
ただ、大分では短く「夏の友」と呼ぶ記憶がかなり強い。
県境を越えると「夏休みの友」になったり、学校によって違ったりする。そんな呼び名の差もおもしろいところです。
また、現在の佐伯では「なつマスター」という名前になっているという話もありました。
名前は変わっても、夏休みの相棒――あるいは強敵――は残っちょるようです。
4)早く終わらせる派と、最後に追い込まれる派

「夏の友」の進め方は、大きく二つに分かれていました。
一つは、計画的に早く終わらせる派です。
「7月中に全部終わらせた」
「8月半ばまでに半分以上進めた」
「夏の友は早めに済ませて、残りは自由研究と読書感想文だけにした」
という、かなり優秀な人たちです。
夏休みの最初に宿題を終わらせて、残りを気持ちよく遊ぶ。多くの小学生が一度は思い描く理想の夏休みです。
一方、圧倒的に共感を集めそうなのが、最後に追い込まれる派。
「開いたのは夏休み終了の2日前」
「初日に1ページだけやって、そのまま」
「最後の5日間でまとめてやった」
「8月の終わりからラッシュが始まった」
「始業式前日に慌てて埋めた」
という声が並びました。
夏休み前には、確かに時間がたくさんあるように見えます。
でも、遊び、家の手伝い、帰省、プール、昼寝などを繰り返しているうちに、いつの間にか8月31日。
「今年こそ早めに終わらせる」は、毎年繰り返される夏の決意やったんやろうね。
5)農作業や家の手伝いで、宿題どころではなかった人も

宿題を後回しにした理由は、遊びだけではありません。
家が農業をしていたため、夏休み中は家の手伝いをしなければならなかったという声もありました。
昼間は農作業を手伝い、終わったら暗くなるまで遊ぶ。そうして「夏の友」を開くのは、結局休みの終わり頃になる。
現在の感覚では、「夏休みなのだから宿題を計画的に」と考えがちです。
でも、昔の子どもの夏休みには、家業の手伝いや家族の仕事も組み込まれていました。
同じ「最後に慌ててやった」という記憶でも、その背景は人によって違います。
6)本当の強敵は、夏の友以外にいた?

夏休みの宿題は、「夏の友」だけではありませんでした。
寄せられた記憶には、
- 絵日記
- 読書感想文
- 課題図書
- 自由研究
- 工作
- 毛筆
- 絵画
- 作文
- 天気の記録
- 教科別のドリル
などが並びます。
「夏の友は意地で仕上げたけど、ほかの何かが終わらなかった」
「夏の友より、担任や各教科の先生から出された宿題の方が鬼だった」
「工作のように時間がかかるものが最後に残って詰んだ」
という声もありました。
夏の友は確かに面倒だった。
でも、空欄を埋めれば少しずつ終わりが見える分、読書感想文や自由研究より取り組みやすかったという人もいます。
一冊の冊子だけを思い出しがちですが、実際にはほかの宿題と束になって子どもたちを待ち構えちょったんよね。
7)「夏の友」は、親や祖父母の宿題でもあった

夏休みの終盤になると、「夏の友」は子ども一人の問題ではなくなります。
「分からないページを親に手伝ってもらった」
「おばあちゃんにも手伝ってもらった」
「最後は親とマンツーマンだった」
「子どもの宿題というより、親の宿題だった」
という声がありました。
現在の夏休みでも似た光景はありそうですが、昔から親子で取り組む宿題だったようです。
実験や観察、材料を準備する工作など、小学生だけでは難しい課題もあります。
中には、先生からページごとに、
- ○=必ずやる
- △=できればやる
- ×=やらなくてもよい
という指示が出ていた学校もあったそうです。
子どもだけで全部をこなすのではなく、家庭の協力を前提にしたような内容もあったんやろうね。
8)天気の記録を、8月31日の新聞で埋める

昔の夏休みの宿題で特に困るのが、毎日の天気や絵日記です。
毎日欠かさず記録していれば問題ありません。
でも、気づいた時には何週間分も空白。
そんな時に頼りになったのが新聞でした。
福岡の「夏休みの友」の記憶として、
「8月31日の新聞に夏休み中の天気が掲載されていて助かった」
という話がありました。
スマートフォンもインターネットもない時代。新聞に載った過去の天気を見ながら、まとめて記入する。
絵日記についても、ほぼ書いていなかったため、8月31日は一日中外へ出られず、夜までかけて仕上げたという人がいました。
天気と日記を思い出しながら埋める8月末。
正確な記録というより、想像力と記憶力が試される宿題になっちょったのかもしれません。
9)登校日に、友達の答えを写す人も

8月の登校日は、宿題の途中経過を確認される日でもありました。
「登校日に夏の友を提出した」
「途中まで先生のチェックが入った」
という声がある一方、
「登校日に友達の答えを写していた」
という、かなり大胆な攻略法もありました。
夏休み中に久しぶりに友達と会える登校日。
本来は平和学習や宿題確認のための日でも、子どもにとっては友達と再会し、足りない答えを補う貴重な機会だったのかもしれません。
10)8月6日の登校日と「平和を考える」ページ

大分県民の「夏の友」の記憶で、特に多く出てきたのが8月6日です。
「8月6日は平和学習の登校日だった」
「その日に宿題の途中確認があった」
「夏の友の『平和を考える』ページを使った」
「写真が載っていて怖かった」
「原爆に関するアニメ映画が今も記憶に残っている」
という声がありました。
大分県の小学校では、8月6日の登校日と平和学習が強く結びついていた地域や世代が多かったようです。
「夏の友」は国語や算数の問題を解くだけの冊子ではなく、平和について考える教材として使われていた記憶も残っています。
大人になってから、先生方や教育関係者が作った教材だったと知った、という人もいました。
当時は「怖いページ」「登校日にやるページ」という印象だったものが、大人になって初めて、その背景に気づくこともあるんやね。
11)内容は、世代によって少しずつ変わった

同じ「夏の友」でも、中身はずっと同じではなかったようです。
66歳の人からは、
「自分の頃は国語・算数のドリルのようで、分量も多かった」
「子どもの世代ではドリル的な内容が減っていた」
という声がありました。
ほかにも、
「実験が楽しかった」
「どうやってやるのか分からないページがあった」
「作文や天気の記録があった」
「○・△・×で、やるページを先生が指定していた」
など、内容や使い方には学校差・年代差があります。
昔は全ページやるものだった。
その後は必要なページだけ取り組むようになった。
さらに、学校や地域によっては別の教材へ変わった。
同じ名前を覚えていても、親世代と子ども世代では、思い浮かべる中身が違う可能性があります。
12)今もある地域、名前が変わった地域、なくなった地域

現在の「夏の友」についても、回答は分かれました。
「別府では今もある」という声。
「数年前まで子どもの宿題にあった」という声。
「佐伯では『なつマスター』になっている」という声。
「孫の世代では、もう夏の友自体がないらしい」という声。
現在もすべての学校で同じように使われているわけではなさそうです。
昔から続く名前を残している学校もあれば、新しい教材に変わった学校もある。宿題の出し方そのものを変えた学校もあるのでしょう。
「夏の友」は県民共通の記憶になりつつも、今は少しずつ過去の言葉になり始めているのかもしれません。
13)「冬の友」もあった。でも「春の友」はなかった

「夏の友」の話からは、「冬の友」の記憶も出てきました。
夏休みだけではなく、冬休みにも似た冊子があったという人は少なくありません。
中には、
「冬の友の最後に、紅白歌合戦はどちらが勝ったかを書く問題があった」
という話も。
紅白の結果が出るまで終わらせられない宿題とは、なかなか独特です。
一方で、
「夏の友と冬の友はあったのに、春の友はなかった」
という指摘もありました。
春休み後は新しい学年になり、先生の異動などもあるため、宿題を出しにくかったのかもしれません。
「友」を名乗るなら一年中いてもよさそうですが、子どもたちとしては春まで来なくてよかったのかもしれんね。
14)名前を聞くだけで、昔の夏まで戻ってくる

「夏の友」の中身は、細かく覚えていない人も多くいました。
全部終わらせたか覚えていない。
何が載っていたか覚えていない。
そもそも宿題をあまりやらなかった。
それでも、「夏の友」という名前を聞くと、
- 今より朝夕が涼しかった夏
- 家の手伝いをしたこと
- 暗くなるまで遊んだこと
- 8月末に親と宿題をしたこと
- 登校日に友達と会ったこと
- 絵日記や読書感想文に苦しんだこと
まで思い出されます。
冊子そのものより、その周りにあった夏休みの風景が記憶に残っちょるんやね。
結局、「夏の友」は本当に友だったのか?

大分県民の声を見ていくと、「夏の友」は県内のかなり広い地域と幅広い世代に親しまれていたことが分かります。
ただし、「親しまれていた」といっても、好かれていたとは限りません。
「夏の敵」
「友じゃなかった」
「勝手に友達になるな」
「毎年、最後に慌ててやった」
そんな言葉が次々と出てきました。
一方で、7月中に終わらせた人、実験を楽しんだ人、遊びより勉強に夢中だった人もいます。
親に手伝ってもらった。
祖母に教えてもらった。
友達の答えを写した。
新聞で天気を調べた。
8月6日に平和について考えた。
「夏の友」は単なる問題集ではなく、家庭や学校、地域の夏休みをつなぐ存在だったのかもしれません。
友だったか、敵だったかは人それぞれ。
でも、何十年たっても名前を聞くだけで思い出が戻ってくるなら、少なくとも忘れられない“夏の顔なじみ”ではあったんやろうね。
※この記事は、SNSで行った「小学生の頃、夏休みの宿題に『夏の友』はあった?」という呼びかけに寄せられた声をもとに整理したものです。
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