【大分の記憶】子どもの頃、運動会好きやった?

かけっこよりお弁当? 家族も町内も集まった、大分の運動会の記憶

子どもの頃、運動会好きやった?

足が速くて、かけっこやリレーが楽しみだった人。

走るのは苦手だけど、応援やダンスは好きだった人。

そして、

「運動会は嫌いやった。でもお弁当だけは楽しみやった」

という人。

大分県民の記憶を聞いてみると、運動会の思い出は競技だけではありませんでした。

巻き寿司。
いなり寿司。
唐揚げ。
栗ご飯。
青いみかん。

町内ごとの応援席。

朝早くからの場所取り。

学校の周りに並んだ出店。

家族みんなで囲む重箱。

昭和30年代頃の記憶までたどっていくと、昔の運動会は、

「学校の体育行事」というより、家族や地域まで巻き込んだ一日がかりのお祭り

だったように見えてきます。


1)運動会が好きか嫌いかは、「走るのが速いか」だけではなかった

運動会が大好きだった人もいれば、

「すかんかった」
「大嫌いやった」
「運動音痴だったので嫌いだった」

という人もいます。

ただ、面白いのは、

走るのが苦手=運動会全部が嫌い

ではないこと。

かけっこは苦手でも、

ダンス。
鼓笛隊。
マーチング。
応援団。

なら好きだった人もいました。

足が遅かったのでリレーには出ず、応援団をずっとやっていたという人も。

逆に、小学校低学年では足が遅かったのに、途中から速くなってリレー選手になった人もいます。

犬を飼い始め、一緒に走っていたら足が速くなったという、なんとも子ども時代らしい話までありました。

運動会には、

走る人、踊る人、応援する人、見るのが好きな人。

それぞれの楽しみ方があったんやね。


2)「運動会は嫌い。でも弁当は好き」は、かなり強い

今回とくに印象的だったのが、お弁当の記憶です。

運動会そのものは苦手。

何度も繰り返す練習も嫌い。

走るのも嫌い。

それでも、

昼のお弁当だけは楽しみだった。

そんな声が何度も出てきました。

唐揚げ。

玉子焼き。

おにぎり。

サンドイッチ。

巻き寿司。

いなり寿司。

栗ご飯。

そして秋らしい、まだ少し青いみかん。

祖母が2〜3段の重箱いっぱいに料理を詰めてくれたという家庭もありました。

午前中の競技を頑張ったあと、家族のところへ戻って重箱を開ける。

それだけで、

「午後も頑張ろう」

と思えた人もいたようです。


3)昭和30年代の運動会は、「盆正月以外のごちそうの日」でもあった

昭和30年代、佐伯市弥生の小学校での記憶には、当時の運動会の空気がよく残っています。

昼のお弁当には、

赤飯。
紅白のかまぼこ。
いなり寿司。
巻き寿司。
玉子焼き。
あんころ餅。

普段はなかなか食べられないものが並んだそうです。

本人の記憶では、

「盆や正月以外に、こうしたごちそうを食べられる貴重な機会だった」

とのこと。

別の戦後期の記憶でも、家庭がまだ豊かではなかった頃、

母親が巻き寿司やいなり寿司を作り、

柿、栗、早生のみかんなどを持ってきてくれたことが、嬉しい思い出として残っています。

今の感覚では「運動会弁当」ですが、当時の子どもにとっては、

一年に何度かしかない“特別なごちそうの日”

でもあったんやろうね。


4)お弁当は家族だけでなく、「町内みんな」で食べるものだった

50〜60代の記憶を見ていると、家族だけではなく、地域とのつながりも見えてきます。

あるマンモス校では、応援席が町内ごとに分かれていました。

昼になると、同じ町内の人たちでお弁当。

近所同士で料理を分け合う。

仕事でどうしても親が来られない子がいれば、周囲の大人たちが一緒に面倒を見る。

そんな運動会だったそうです。

今振り返ると、

学校単位だけでなく、町内単位でも子どもを見ていた時代

だったことが伝わってきます。

ただし、全家庭が家族そろってお弁当を食べたわけではありません。

自営業で日曜日も仕事だった家庭では、学校が近かったため、昼休みに子どもだけ家へ帰って食事をしたという記憶もあります。

親と運動場で弁当を食べた思い出はなくても、

エビの天ぷらや唐揚げが、

「運動会の日のごちそう」

として残っている。

家族の形によって、運動会の記憶も違います。


5)昔は場所取り、出店、酒盛りまで――運動会そのものがお祭りだった

さらに昔の運動会には、今ではなかなか想像しにくい光景もありました。

朝早くから、子どもたちまで場所取りへ行く。

学校の裏門にはテキ屋が並ぶ。

綿菓子。

焼きそば。

イカ焼き。

お面。

おもちゃ。

射的。

昭和30年代の佐伯の記憶では、昼休みにさまざまな出店が並び、子どもにとってそれも大きな楽しみだったそうです。

ピカピカ光るピストルのおもちゃを友達が買ってもらい、うらやましく眺めていたという細かな記憶まで残っています。

別の人からは、

父親たちが酒を飲みながら応援していた、

という話も。

今ならかなり雰囲気が違いますが、

学校の運動場に家族と地域が集まり、一日過ごす。

昔の運動会には、お祭りに近い側面もあったんやろうね。


6)児童1200人超。「紅白」だけじゃないマンモス校もあった

運動会といえば、

赤組と白組。

そんなイメージがあります。

ところが、児童数1200人を超えるマンモス校では、

赤・白・青・黄色の4団

に分かれていたという記憶もありました。

人数が多すぎて、出場競技は一人3種目ほど。

リレー選手でも4種目。

残りの時間は、

応援……というより友達とのおしゃべり。

そんな人もいたそうです。

一方、小規模な学校では、足が速い子は、

かけっこ。
紅白戦。
地区リレー。

など出番が多く、それが楽しかったという声も。

同じ大分県内でも、学校の規模だけで運動会の一日はかなり違ったようです。


7)「練習が長かった」まで含めて、運動会の記憶

本番よりも、

練習の方が記憶に残っている

人もいました。

何度も同じことを繰り返させられる。


行進。


ダンス。

ラジオ体操。

臼杵の小学校では、

「とにかく練習が長かった。特にラジオ体操!」

という記憶も。

本番は一日でも、その前には何日も練習があります。

だから、

「運動会が嫌い」

という記憶の中には、競技そのものだけでなく、

運動会まで続く練習期間が苦手だった

という部分もありそうです。


8)オクラホマミキサー、チキリンばやし――走らなくても残る運動会

運動会で覚えているものは、徒競走ばかりではありません。

オクラホマミキサー。

マーチングバンド。

鼓笛隊。

ダンス。

応援合戦。

中でもオクラホマミキサーは、

「顔を真っ赤にして踊った」

「中学校の体育祭で踊って恥ずかしかった」

と、何十年たっても記憶に残っています。

さらに、

「チキリンばやしを踊った」

という大分らしい記憶も。

走った順位は忘れても、

音楽や踊りの恥ずかしさ、楽しさは意外と残るものなんやね。


9)運動会だけの道具や呼び名も、時代の記憶になる

昭和30年代の佐伯市弥生では、運動会になると、

「スッポン」

と呼ばれる薄い足袋のような履物を履いていたという記憶があります。

運動会シーズンになると近所の店で売られていたそうですが、本人も、

「何のために履きよったんやろう?」

と今では不思議に感じているそうです。

また臼杵からは、

ブルマを「エアリー」と呼んでいたのでは?

という声もありました。

こちらは今回の声だけでは臼杵特有の呼び名なのか、どの年代まで使われていたのかまでは分かりません。

ただ、

運動会には競技だけでなく、その時代だけの服装・道具・呼び名まで残っている

というのも面白いところです。


まとめ――運動会で覚えているのは、順位より「一日の景色」なのかもしれない

子どもの頃の運動会を聞いてみると、

「一等になった」

という話だけではありませんでした。

足が遅くて嫌だった。

応援団を頑張った。

何度も練習するのが嫌だった。

オクラホマミキサーが恥ずかしかった。

昼になったら家族のところへ走っていった。

重箱を開けた。

栗ご飯を食べた。

青いみかんをむいた。

町内のみんなで料理を分け合った。

昔の運動会は、子どもだけの行事ではなく、

家族や地域まで一緒になって、一日を過ごす行事

だった時代もありました。

だから何十年たっても残っているのは、

徒競走の順位より、

秋の空気。

運動場のざわざわした音。

応援する家族。

そして、昼休みに開いた重箱なのかもしれません。

「運動会は嫌いやった」

という人まで、

お弁当の話になると少し嬉しそうなのが、

なんだか運動会らしい記憶なんよね。


※この記事は、SNSで行った「子どもの頃、運動会好きやった?」という呼びかけに寄せられた声をもとに整理したものです。


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