奈多、田ノ浦、黒島、元猿――でも盆地の子どもは「川じゃった」? 大分県民の夏の水遊び
子どもの頃、夏休みになると海水浴に行きよった?
大分県は海に囲まれた県やけん、みんな海で泳ぎよった――と思いきや、聞いてみるとそんなに単純ではありませんでした。
国東方面では奈多海岸や住吉浜。
大分市では田ノ浦や日吉原。
臼杵では黒島や大浜。
津久見では冠や千怒。
佐伯では元猿、波当津、大入島など。
海沿いでは「夏は海」が当たり前だった一方、山間部や盆地では、
「うちは川じゃった」
という声もかなりあります。
そして市街地では、学校のプール、市民プール、大洲プール、大分スポーツセンターなどを思い出す人も。
同じ大分県でも、住んでいた場所によって「夏に泳ぐ場所」はずいぶん違ったようです。
今回は、大分県民の子どもの頃の海水浴と、水辺の夏の記憶をたどってみます。
1)結論:海沿いは海、山間部は川、市街地ではプールも強かった

今回の声を大きく分けると、地域による違いがかなりはっきり見えました。
海沿いで育った人は、
「海水浴が定番だった」
「近所の海へ自転車で行った」
「海で泳いで釣りもした」
という人が多め。
一方、山間部や盆地では、
「基本は川」
「海より川の方が身近だった」
「唇が紫になるくらい冷たい川で泳いだ」
という声があります。
さらに大分市などでは、
「普段は学校のプール」
「市民プールをローテーションしていた」
「たまに海へ連れて行ってもらう」
という夏休みもありました。
つまり、大分県民の夏の水遊びは、
海・川・プールの三つが、住んでいる地域によって入れ替わる
という感じだったんやね。
2)奈多海岸は、県北の海水浴の記憶にしんけん強い

今回、特に何度も名前が出てきたのが奈多海岸です。
「奈多海岸やなぁ」
「奈多と住吉浜」
「奈多海岸でキャンプした」
「奈多か黒津崎によく行った」
など、県北方面の夏の思い出として強く残っています。
記憶に残っているのは海だけではありません。
松林。
焼けた砂の匂い。
裸足では歩けないくらい熱くなった砂浜。
キャンプをして、お父さんがボートでキスやコチを釣り、それを唐揚げにして食べたという思い出もありました。
子どもたちは、
「あちぃ、あちぃ」
と言いながら砂浜を走って海へ。
クラゲに刺されたり、風で飛ばされた浮き輪を追いかけたり。
別の人は、海の家で食べたカップ麺を覚えていました。
初めてUFO焼きそばを食べた場所が奈多海水浴場だった、という人までいます。
場所そのものより、
そこで食べたものや、砂の熱さまでセットで「奈多の夏」になっちょるんやね。
3)国東半島には、住吉浜・黒津崎・真玉・香々地など海の記憶が点在する

県北では奈多だけではありません。
住吉浜。
黒津崎。
真玉海岸。
香々地。
呉崎周辺の名もない海。
祖母の家が国東半島にあり、遊びに行くたび海水浴をしたという人もいます。
真玉では、60年以上前から海で泳いだ記憶が残っています。
別府なら関の江。
日出なら糸ヶ浜。
杵築なら住吉浜。
そんなふうに、地域ごとに「うちの海」があったようです。
糸ヶ浜については、
「すっごい遠浅」
という記憶も。
観光案内の名称よりも、子どもの頃は「ばあちゃんちの近くの海」「いつも連れて行ってもらう海」くらいの感覚だった人も多かったんやろうね。
4)大分市の海水浴といえば、やっぱり田ノ浦

大分市から特に多く名前が出たのが田ノ浦です。
今の田ノ浦ビーチとは違う、昔の田ノ浦海水浴場の記憶です。
「もちろん田ノ浦」
「浮袋をしたまま電車に乗って行った」
「小さい頃、田ノ浦まで電車で行きよった」
という声がありました。
ここで登場するのが、昔、大分と別府の間を走っていた別大電車。
水着や浮き輪姿で電車に乗って海へ向かう。
今考えるとかなり大胆ですが、当時はそんな夏休みの光景もあったようです。
大分市立八幡小学校には当時プールがなく、水泳の授業で全校生徒が田ノ浦へ行ったという記憶もありました。
別の世代では、夏休みに田ノ浦で「海の水泳教室」のようなものが開かれ、別大電車で通ったという声も。
田ノ浦は、遊びの海であると同時に、泳ぎを覚える場所でもあったんやね。
5)大分市では、日吉原・大志生木・幸崎などにも泳ぎに行った

大分市周辺では、田ノ浦以外の名前も多く出ています。
日吉原海水浴場。
大志生木。
幸崎海岸。
大在にあった海水浴場。
かんたんの赤灯台周辺。
昭和30年代後半から40年代前半にかけて、田ノ浦と日吉原が定番だったという70代の声もありました。
日吉原には子ども会で行き、
「すっごい人ごみだった」
という記憶も。
小さい頃はお父さんの自転車で日吉原へ行き、少し大きくなってから車で行くようになったという人もいます。
現在の海岸の姿だけを見ていると想像しにくい場所にも、昔は子どもたちが泳ぐ夏の風景があったんやね。
6)臼杵では、黒島・大浜・水ヶ浦――そして「山内流」の記憶

臼杵から特に多かったのが黒島です。
「子どもの頃に行った黒島が懐かしい」
「黒島とか大浜だった」
「黒島、大浜、中津浦。断然海派」
という声があります。
佐志生の沖にある黒島では、砂浜だけでなく、裏手の岩場が好きだったという人も。
地引網を体験した。
中学の部活合宿で行った。
売店で焼きそばを頼んだのに、なぜかカップ麺をすすめられ続けた。
そんな細かな思い出まで残っています。
※かぼみ補足
臼杵市佐志生の黒島は、1600年に三浦按針(ウィリアム・アダムス)が乗っていたオランダ船「リーフデ号」が漂着した地としても知られています。
ただ、子どもの頃に泳いだ人にとっては、歴史の島というより、
「夏休みに泳ぎに行った島」
という記憶の方が強いのかもしれません。
7)昔の臼杵では、海で泳ぎを習う「山内流」も身近だった

臼杵では「山内流」の記憶も複数出ています。
夏休みになると山内流に通い、水ヶ浦で泳いだ。
別の人も、小学生の頃は山内流に通い、海へ毎日のように行っていたと振り返っています。
今の子どもにとって水泳教室といえばプールのイメージが強いですが、昔は海そのものが泳ぎを習う場所になることもありました。
海が遊び場であり、練習場でもある。
海と暮らしの距離が今より近かったことが伝わってきます。
8)津久見・佐伯は、「近所の海」がしんけん豊富

県南に行くと、海水浴場の名前が一気に増えます。
津久見では、
冠海水浴場。
千怒。
浅海井。
友達のお父さんに冠へ連れて行ってもらったという人は、急に深くなる場所で溺れかけた記憶も残っていました。
普段は学校のプール。
でも時々、海へ。
そんな夏休みだったようです。
佐伯方面ではさらに、
- 元猿海岸
- 葛原海岸
- 波当津海岸
- 大入島の白浜
- 高山
- 梶寄
- 瀬会
- 蒲戸
など、多くの名前が挙がりました。
蒲江育ちの人からは、
「海沿いやったけん、海水浴が定番」
という声。
県南では「海水浴に出かける」というより、生活圏の中に泳げる海がいくつもあった地域も多かったんやね。
9)島へ渡る海水浴は、それだけで大冒険だった

今回のコメントには、島の記憶もたくさんありました。
黒島。
高島。
大入島。
そして名前のない無人島。
盆地育ちの人が初めて海水浴をしたのは、佐賀関で漁師をしていた親戚の大きな漁船に乗せてもらい、親戚みんなで無人島へ行った時だったそうです。
海そのものだけでなく、
船に乗って島へ渡る
ところからすでに特別な一日です。
高島では、船からサメが見えて震えたという人も。
流れの速さ、岩場のカニ、ウミネコ。
初めて訪れた島の景色そのものが、夏休みの冒険として残っています。
10)離島では、「海水浴」はイベントではなく日常だった

島で育った人からは、
「うちは離島だから、もちろん海」
という声もありました。
海へ行く時には、名前を書いたかまぼこ板を当番の大人に渡し、帰る時に返してもらう。
今思えば、海に入った子どもが全員戻ったか確認するための仕組みだったのではないか、と振り返っています。
海が身近だからこそ、地域で子どもの安全を確認する仕組みもあった。
「海水浴に連れて行ってもらう」地域と、「夏になったら海へ行くのが当たり前」の地域。
同じ大分県でも、海との距離感はかなり違います。
11)盆地・山間部の子どもは、「海より川」

一方、海から離れた地域では、答えはかなりシンプルでした。
「うちは川じゃった」
山間部育ちの人は、1時間も入らないうちに唇が紫になるほど冷たい川で泳いだそうです。
日田方面の盆地育ちの人も、海より川。
野津原でも普段は川。
番匠川。
七瀬川。
竹中の川。
狸穴の滝。
龍門の滝。
など、海とはまったく違う夏の水辺があります。
「海よりベタベタせんし、冷たくて気持ちいい」
という川派の声も。
海水浴の話を聞いたつもりが、県内陸部では自然と川の話になっていく。
これも大分県らしい地域差かもしれません。
12)昔は、滝壺まで地域で整備していた

印象的だったのが、地元の「狸穴の滝」で泳いでいたという60年ほど前の記憶です。
夏休み前になると、親たちが出て滝壺を掃除していたそうです。
今であれば自然の川や滝で泳ぐことには安全管理が強く求められますが、昔は地域の大人が子どもの水遊びの場所を整えることもあったようです。
海でも川でも、
子どもの遊び場を地域の大人が見守る
という文化があったことが分かります。
13)実は一番通ったのは「学校のプール」だった人も多い

海水浴の思い出を聞いているのに、
「夏休みはほとんど学校のプール」
「普段はプール」
「毎日プールに行きよった」
という声もかなりありました。
学校のプールは近い。
友達も来る。
夏休み中、何度でも行ける。
地域によっては、名前を書いたかまぼこ板を提出して人数確認をしていた記憶もあります。
海は親に連れて行ってもらう特別な日。
でもプールは子どもだけでも行ける日常。
そんな使い分けをしていた人も多かったようです。
14)大洲プール、大分スポーツセンター、市民プール――“プール派”の夏もある

大分市には、プールそのものが夏の思い出になっている人もいます。
今はなくなった大洲プール。
「丸一日遊んで、日焼けするまでがセット」
という声。
大分スポーツセンターも人気でした。
スライダーがあり、
「行きたかったけど、市営プールより高かったので、なかなか連れて行ってもらえなかった」
という記憶もあります。
別の人は、
「小学生の頃はよく大分スポーツセンターで泳いだ。冬はアイススケートだった」
と振り返っています。
学校のプール、市民プール、大洲プールをローテーションしていたという強者までいました。
海が近い大分でも、
海よりプールの方が夏休みの記憶に残っている人もちゃんとおるんよね。
15)海へ行くまでの道のりまで、夏の思い出だった

今回おもしろかったのが、「どうやって海まで行ったか」の記憶です。
浮き輪をつけたまま別大電車に乗る。
自転車に浮き輪をつけて関の江へ。
梅干し入りのおにぎりを三つ作り、スーパーのビニール袋に入れて、友達と自転車で週3回海へ行く。
幼稚園くらいまでは、お父さんの自転車で日吉原へ。
友達のお父さんの車で冠へ。
親戚の漁船で無人島へ。
今のように目的地まで車で一直線ではありません。
子どもにとっては、
海に着くまでの道のりも含めて、一日全部が海水浴だった
んやろうね。
16)海の思い出には、「匂い」と「食べ物」が残っている

夏の海を思い出す時、景色だけではありません。
松と焼けた砂の匂い。
塩水の味。
熱い砂浜。
海から上がった後のベタベタ。
そして食べ物。
奈多からの帰りに食べた「あすかうどん」。
海の家のカップ麺。
父親が釣ったキスやコチの唐揚げ。
梅干しのおにぎり。
不思議と、子どもの頃の記憶にはこういうものが強く残っています。
「どこの海だったか」は曖昧になっても、
「あそこで食べたカップ麺がうまかった」
は忘れない。
夏の記憶って、しんけん食べ物に強いんよね。
17)楽しいだけじゃない。海には怖い記憶も残っている

海や川の思い出には、少し怖いものもありました。
クラゲに刺された。
急に深くなって溺れかけた。
沖へ流された。
海で足をけがした。
船からサメを見た。
中には、沖へ流され、父親が必死の表情で助けに来てくれたという記憶も。
子どもの頃は笑い話になっていることでも、水辺には本当の危険があります。
昔の思い出としては懐かしいものの、現在、海や川で遊ぶ場合は、遊泳区域や天候、潮流などを確認し、大人の見守りやライフジャケットなど安全対策をすることが大切です。
18)結局、大分県民は子どもの頃、海水浴に行きよった?

今回の声を見る限り、
「行きよった人はしんけん多い。でも、みんなが海派ではない」
というのが一番近そうです。
国東では奈多や住吉浜。
大分市では田ノ浦や日吉原。
臼杵では黒島や大浜。
津久見では冠や千怒。
佐伯では元猿、波当津、大入島など。
海沿いには、それぞれの地域の「いつもの海」がありました。
でも、盆地や山間部なら川。
市街地なら学校や市民プール。
普段はプールだけど、年に何度か海へ行く。
そんな人もたくさんいます。
同じ大分県でも、
「夏に泳ぐ」と聞いて思い浮かべる景色が違う。
青い海の人もいれば、冷たい川の人もいる。
塩水の匂いを思い出す人もいれば、プールの塩素の匂いを思い出す人もいる。
そこが今回、一番おもしろかったところです。
まとめ―海水浴の思い出は、「泳いだ場所」だけじゃない―

子どもの頃の海水浴を振り返ってみると、残っているのは海の名前だけではありません。
浮き輪を持って電車に乗ったこと。
友達と自転車をこいだこと。
砂浜が熱かったこと。
クラゲに刺されたこと。
海の家でカップ麺を食べたこと。
お父さんが魚を釣ってくれたこと。
帰りにうどんを食べたこと。
そして、海が遠かった子どもには、
冷たい川。
毎日通った学校のプール。
たまに連れて行ってもらえる海。
それぞれ違う「大分の夏」があります。
今はなくなった海水浴場やプールもあります。
海岸の景色も、泳ぎ方も、安全への考え方も変わりました。
それでも、
「あの頃、ここで泳ぎよったなぁ」
と場所の名前を聞くだけで、夏休みの一日が丸ごと戻ってくる。
海水浴の記憶は、泳いだ場所の記録というより、子どもの頃の夏そのものの記憶なのかもしれません。
※この記事は、SNSで行った「子どもの頃、海水浴に行きよった?」という呼びかけに寄せられた声をもとに整理したものです。
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