「雨が降りよる」
「雨が降っちょる」
どっちも標準語にすれば、
「雨が降っている」
になりそうです。
でも、大分んしなら、
「いや、なんか違うんよな……」
と感じる人も多いのではないでしょうか。
もっと分かりやすいのが、
「もう友達が来ちょる。あと一人、来よる」
という言い方。
「来ちょる」人は、もう着いている。
「来よる」人は、まだこっちに向かっている。
同じ「〜ている」に訳せるのに、見ている場面が違います。
SNSで「〜よる」と「〜ちょる」をどう使い分けるか聞いてみても、
「進行形と完了形みたい」
「動作と状態の違い」
「説明できんけど、自然と使い分けよる」
など、いろいろな声が集まりました。
実はこの違い、単なる感覚だけではありません。
大分弁では伝統的に、
「〜よる/〜よん」=動作や変化の途中
「〜ちょる/〜ちょん」=動作や変化が成立したあとの状態
という使い分けがあります。
今回は、大分弁の語尾「〜よる」と「〜ちょる」を深掘りします。
まずは「雨が降りよる」と「降っちょる」

まず分かりやすいのが、
雨が降りよる
雨が降っちょる
です。
「雨が降りよる」は、
今まさに雨が降っている。
降るという出来事の途中を見ています。
一方の「雨が降っちょる」は、
雨が降った結果、今そういう状態になっている
という感覚が出やすい言い方です。
SNSでも、
「降りよる」は現在進行
「降っちょる」は道路が濡れとる、みたいな現在の状況も含む
という声がありました。
よく「〜よる=現在進行形」「〜ちょる=現在完了形」と説明されます。
感覚をつかむには分かりやすいのですが、厳密には英語の時制・完了形と同じ仕組みではありません。
ポイントは「いつ起きたか」より、
その出来事の“途中”を見ているのか、“成立した後”を見ているのか。
ここです。研究資料でも、「〜よる/〜ちょる」の違いは時制ではなく、出来事の局面を表すアスペクト(側面)の違いとして整理されています。
「来よる/来ちょる」だと分かりやすい

個人的に一番分かりやすいのが、
来よる
来ちょる
です。
SNSに、こんなコメントがありました。
もう友達(とぎ)が「来ちょる」、あと一人「来よる」。
これ、かなり分かりやすい。
来よる
→ 今、こちらへ向かって来ている。
来ちょる
→ もう来た。その結果、ここにいる。
標準語なら、どちらも「来ている」と言える場面があります。
でも大分弁では、
来る途中なのか、もう来た後なのか
を言い分けられるわけです。
「〜よる/〜ちょる」の違いがいまひとつピンと来ない人は、まず「来よる/来ちょる」で考えると分かりやすいかもしれません。
「〜よる」は“今している”だけじゃない

では、
〜よる=進行中
と覚えれば終わりかというと、実はもう少し奥があります。
たとえば、
「今、台本を書きよる」
「何しよるん?」
「みんな美味そうに食べよる」
こうした言い方は、まさに「今している途中」です。
ところが「〜よる」には、文脈によって
習慣・繰り返し
を表す使い方もあります。
研究資料にも、「時には〜しよる」のような、今この瞬間の動作ではなく反復・習慣を表す用例が確認されています。
つまり、
「〜よる=必ず今この瞬間にやっている」
と覚えると、少し狭すぎます。
中心にあるのは「進行」ですが、動詞や文脈によって意味が広がります。
「散りよる」は「今にも散りそう」にもなる

さらに面白いのが、
花が散りよる
です。
これは、
「今、花びらが散っている」
という意味にもなりますが、
「もう今にも散りそう」
という意味になることがあります。
国立国語研究所の方言調査でも、
「散りよる」=今にも散りそう
「死による」=今にも死にそう
という用法を、通常の進行とは別に「将然態」として調査しています。
「散る」「死ぬ」のような、一つの変化が成立する瞬間を持つ動詞では、
その出来事に向かっている途中
を「〜よる」で捉えることができるわけです。
なので、
〜よる=進行
だけではなく、
〜よる=進行・変化の途中・今にもそうなりそう
くらいまで考えると、大分弁の感覚に近づきます。
「〜ちょる」は“なった後”を見る

一方の、
〜ちょる
は、その出来事が成立した後に目を向ける形です。
たとえば、
もう寝ちょる。
これは、「寝る」という動作の真っ最中というより、
もう寝た状態になっている
という感じです。
同じように、
花が散っちょる
なら、
「今まさに散っている途中」というより、
もう散って、その結果として花びらが落ちている
という状態を表しやすくなります。
実際、国立国語研究所では、
「散りよる」と「散っちょる」を同じ「散る」という動詞で調べ、
- 散りよる → 変化の途中・成立直前
- 散っちょる → 変化が成立した後の状態
として区別しています。
ざっくり図にすると、
散りよる →→→【散る】
【散った】→→→ 散っちょる
という感じでしょうか。
「〜よん/〜ちょん」は、ただ縮めただけ?

そして大分弁で忘れられないのが、
です。
〜よん
〜ちょん
「何しよん?」
「知っちょん?」
「もう行っちょんで」
など、こちらの方が普段の会話では馴染みがある人も多いでしょう。
一見すると、
「よる→よん」
「ちょる→ちょん」
と、単に最後を省略しただけに見えます。
ところが、大分方言の研究では、これは「ル」が「ン」になる撥音化として分析されています。
「食べよる → 食べよん」
「食べちょる → 食べちょん」
という変化です。さらに「ヨン/チョン」は会話の中でかなり定着しており、単なる言い崩し以上に、大分方言のアスペクト形式として固定化が進んでいるとされています。
だから、
「よん・ちょん=よる・ちょるを適当に縮めただけ」
と考えるより、
大分で育った自然な口語形
と考えた方がよさそうです。
日田と大分市方面では形にも違いがある

「〜よる/〜ちょる」と「〜よん/〜ちょん」には、県内差もあります。
大分県内の長期的な方言調査では、
県内全般では「進行=ヨン」「結果=チョン」
県西部では「ヨル/チョル」も聞かれる
と報告されています。
特に日田やその周辺では、「ル→ン」になる撥音化が少なく、福岡・筑後方面とのつながりが見られるそうです。
一方、大分市方面などでは「ヨン/チョン」がかなり重要な形になっています。
今回のSNSコメントでも、
日田は「〜よる」が多いかな
日田は「何しよん?」やね
という声がありました。
さらに、
- 中津「〜しよん?」
- 別府「何しちょん」
- 国東「両方使いよる」
- 臼杵「しよん・しちょん・しちょる全部使う」
など、さまざまな声が寄せられています。
つまり、
「大分県民はみんな“〜ちょる”」
でもなければ、
「西部はよる、中部はちょる」
と単純に二分できるわけでもありません。
形そのものにも地域差があり、そのうえ同じ人が複数の形を使い分けています。
SNSで見えた「説明できんけど使い分けよる」

今回のコメントを見ていて、もう一つ面白かったのが、
理屈では説明できなくても、自然に使い分けている人が多い
ことです。
「違い、分からん😵」
「どっちも使う」
「意識して使い分けてたわけじゃなく、自然とイントネーションで言ってた」
という声もありました。
一方で、
今、台本を書きよる。
主人はもう寝ちょる。
という、研究上の「進行/結果状態」の違いがそのまま見えるようなコメントもあります。
また、
「何しよん?」と聞かれたら普通やけど、「何しちょん?」と言われたら、なんかやらかしたんかなと思う
という声もありました。
ここまで来ると、単純な文法だけではなく、
場面・言い方・イントネーション・話し手との関係
まで影響しているのでしょう。
方言は、文法表を覚えて使うものではありません。
子どもの頃から聞いてきた言葉を、
「こっちの方が自然」
という感覚で使い分けています。
だからこそ、普段は何気なく使っている言葉を改めて説明しようとすると、
「……あれ?どう違うんやろ?」
となるのかもしれません。
まとめ|同じ「〜ている」に訳すと、違いが消える

大分弁の
「〜よる/〜よん」
「〜ちょる/〜ちょん」
は、標準語ではどちらも「〜ている」と訳せることがあります。
でも、伝統的な使い分けを見ると、
〜よる/〜よん
→ 動作・変化の途中を見る
〜ちょる/〜ちょん
→ 動作・変化が成立した後の状態を見る
という違いがあります。大分弁「〜よる」と「〜ちょる」――アスペクト体系・地域差・歴史…
さらに「〜よる」は、
「今にも〜しそう」
という意味や、習慣・反復にも広がります。
そして大分では、「〜よる/〜ちょる」だけでなく、
「〜よん/〜ちょん」
もかなり重要です。
日田など西部と、それ以外の地域では形の現れ方にも違いがあります。
何気なく使ってきた、
「何しよん?」
「何しちょん?」
「来よる」
「来ちょる」
という言葉。
標準語にすると同じように見えても、大分弁ではちゃんと違う景色を見ているんですね。
みんなは「〜よる」と「〜ちょる」、意識せず使い分けよった?
地域による違いもまだありそうなので、ぜひ教えてください。
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