【大分の記憶】子どもの頃、夏休みは家族でどっか行きよった?

ラクテンチ、親戚の家、海、県外旅行――でも「夏休み=家族旅行」ではなかった時代の話

子どもの頃、夏休みになると家族でどっか行きよった?

今なら、

「夏休みだから家族旅行しよう」

という家庭も多いかもしれません。

でも、大分県民の子どもの頃の記憶を聞いてみると、必ずしもそうではありませんでした。

じいちゃん・ばあちゃんの家へ行く。
近くの海へ行く。
ラクテンチへ行く。
トキハの屋上で遊ぶ。

あるいは、

「どこにも行かんかった」

という人もいます。

農家だから夏は忙しい。
家が自営業だから泊まりでは出かけられない。
そもそも家族旅行をする余裕がなかった。

一方で、長崎、鹿児島、宮崎、四国、神戸、さらには仙台まで行ったという人も。

同じ大分県、同じ夏休みでも、その過ごし方は家庭によってまったく違いました。

今回は、そんな大分県民の「夏休みのお出かけ」の記憶をたどってみます。


1)結論:昔の夏休みは「家族旅行」が当たり前ではなかった

今回の声を見て、まず感じるのがこれです。

昔は「夏休み=家族旅行」という図式が、今ほど強くなかった。

もちろん毎年出かけていた家庭もあります。

でも、

「めったになかった」
「一度だけ行った」
「泊まりの旅行はなかった」
「実家に帰るだけだった」

という声もかなりありました。

50代の人からは、

「家庭的にあまり余裕がなかったので、夏休みに旅行するという感覚がほとんどなかった」

という率直な記憶も。

だからこそ、一度連れて行ってもらった遊園地や旅行が、何十年たってもしんけん鮮明に残っているのかもしれません。


2)一番身近な行き先は、じいちゃん・ばあちゃんや親戚の家

夏休みの行き先として多かったのが、祖父母や親戚の家です。

母方の親戚の家。

父方・母方の祖父母の家。

県内の実家。

夏休みになると祖父母の家に泊まり、そこを拠点に海や釣り、花火大会、夜市へ行ったという人もいました。

一見すると「旅行」と呼ぶほどではないかもしれません。

でも子どもにとっては、

普段とは違う家に泊まる。
いとこに会う。
夜更かしする。
山や海で遊ぶ。

それだけで十分に特別です。

昔の子どもにとって、じいちゃん・ばあちゃんの家が夏休みのリゾート地だった家庭も多かったんやろうね。


3)ラクテンチ・マリンパレス・高崎山――近場のお出かけが特別だった

大分県内のお出かけ先として、やっぱり強かったのが別府方面です。

ラクテンチ。
高崎山。
マリンパレス。

現在の「うみたまご」の前身であるマリンパレスを覚えている世代も多くいました。

ラクテンチについては、

「一度だけ行った記憶がある」
「アヒルのレースが楽しかった」

など、細かな場面まで覚えている人も。

アフリカンサファリも、後の世代では家族のお出かけ先として登場しています。

今なら県内の日帰りスポットという感覚かもしれませんが、子どもの頃には、

「今日はラクテンチに行く!」

だけで、朝からしんけん楽しみやったんやろうね。


4)トキハへ行くだけでも、ちゃんと“お出かけ”だった

今回おもしろかったのが、トキハの記憶です。

「トキハの屋上で遊んで、ファミリー大食堂でランチ」

という夏休み。

別の人は、小学生の頃に書き方大会で金賞を取り、上臼杵駅から汽車に乗ってトキハへ行ったことを覚えています。

映画を見に行った人もいました。

東映まんがまつり。
東宝チャンピオンまつり。

そしてトキハで開かれた展示会。

今の感覚だと、

「旅行じゃないやん」

と思うかもしれません。

でも当時の子どもにとっては、

電車に乗って大分市へ行く。
百貨店の屋上で遊ぶ。
大食堂でご飯を食べる。
映画を見る。

これだけで立派な一日のお出かけでした。

遠くへ行くことだけが、特別な夏休みではなかったんよね。


5)海・釣り・夜市・花火――日帰りの夏も十分楽しかった

旅行ではないけれど、夏休みになると家族で出かけた場所。

海水浴。
魚釣り。
花火大会。
夜市。

こうした声も多くありました。

家族で黒島海水浴場へ行った。

近場の海へ、お母さんに連れて行ってもらった。

車で魚釣りへ行き、そのまま普通車の中で家族みんなで寝たという人も。

食事は車の中で食べたカップ焼きそば。

それが今でも、

「忘れられない味」

として残っています。

豪華なホテルに泊まらなくても、車で寝て、釣りをして、カップ麺を食べる。

子どもには、それがしんけん楽しい旅行になるんよね。


6)宮崎・鹿児島・長崎・四国――県外まで出かけた人も

もちろん、県外旅行の記憶もあります。

宮崎。
鹿児島。
長崎・佐世保。
四国の金刀比羅宮。
神戸。

臼杵の60代からは、

小学校6年生で長崎・佐世保へ一泊。
中学1年生で四国へ一泊。
中学2年生で鹿児島・桜島へ日帰り。

という記憶も寄せられました。

「毎年県外へ旅行」というより、

何年かに一度の大きなお出かけ

だった家庭も多かったようです。

だからなのか、

「小6の時」
「中1の時」

と、何年生だったかまで覚えちょる人がいます。


7)寝台特急や新幹線――目的地より「行くまで」が大冒険

大分から毎年のように仙台へ行っていたという、とてもスケールの大きな記憶もありました。

当時は大分から東京方面まで寝台特急。

そこから特急、新幹線を乗り継いで仙台へ。

時代によって交通手段が変わり、

「昔は何時間もかかった区間が、新幹線で一気に短くなった」

という感覚も、子どもの頃から体験しています。

別の人は、父親が船の仕事をしていた神戸へ遊びに行きました。

そこで初めて見る回転寿司や自動ドアにびっくり。

自動ドアが珍しすぎて、何度も出たり入ったりして親に叱られた。

今なら何でもない設備でも、当時の子どもには未来の世界です。

旅行の記憶って、観光地だけではなく、

電車、船、駅、自動ドアまで含めて大冒険やったんやね。


8)泊まり旅行に行けなかった家庭も多かった

一方で、

「泊まりの旅行には行けなかった」

という声も大切です。

家が自営業。

親が仕事を休めない。

家庭に旅行へ回す余裕がない。

そんな事情がありました。

ある50代の人は、

「夏休み→旅行、という図式がほぼなかった」

と振り返っています。

でも、だから夏休みがつまらなかったわけではありません。

友達と遊ぶ。

虫を捕る。

学校のプールへ行く。

海へ行く。

近所を自転車で走る。

旅行へ行かなくても、一日は十分長かった。

今よりも、「遠くへ連れて行ってもらわないと楽しくない」という感覚は薄かったのかもしれません。


9)農家の夏休みは、家族旅行より家の手伝い

農家の家庭では、さらに事情が違います。

昭和30年代、農家の子どもだったという人は、

夏休みが七島藺の刈り取り時期と重なっていました。

親は農作業で忙しい。

子どもたちも、

刈り取り。
天日干し。
夕方の取り入れ。

を手伝う。

家族旅行どころではありません。

それでも、空いた時間には川へ泳ぎに行ったり、蜘蛛の巣を使ってセミを捕まえたり。

そういう夏休みが今も記憶に残っています。

旅行へ行った人の夏もあれば、

家族みんなで働いた夏

もある。

これも昔の大分の子どもたちにとって、ごく普通の夏休みやったんよね。


10)家族旅行ではなく、「子ども会のキャンプ」が特別だった

家族で泊まりの旅行はしなくても、子ども会の行事には参加したという人もいました。

耶馬溪でキャンプ。

現地集合。

親戚も参加。

キャンプファイヤーを囲んで歌を歌う。

70年代らしい、かなり自由な雰囲気のキャンプだったそうです。

別の人も、子どものキャンプで「おばけ役」を担当し、みんなを驚かせた記憶を残しています。

学校とは違う。
家族旅行とも違う。

地域の子どもたちと泊まりで過ごす。

これも夏休みにしかない、しんけん大きなイベントでした。


11)親戚の家に“子どもだけ置いていかれる”夏休み

今回の中でも特に印象的だったのが、国東へ遊びに行っていた人の記憶です。

小学生の頃、家族でおじいちゃん・おばあちゃんの家へ。

ただし、その二人とは血縁関係がありません。

仲良くなった知人のご両親の家だったそうです。

家族で過ごすのは初日だけ。

夕方になると両親は帰り、子どもだけ数日間残される。

そこからは、

海で泳ぐ。
釣りをする。
山へカブトムシを捕りに行く。

小学生にとっては夢のような生活。

数日後に両親が迎えに来ると、

「帰りたくない!」

となり、一日延長してもらったこともあったそうです。

今なら少しびっくりする話ですが、地域や人とのつながりが濃かった時代ならではの夏休みだったのかもしれません。


12)「一度しか行ってない」のに、しんけん覚えちょる

今回の声では、

「一度だけ」

という言葉も目立ちました。

一度だけ宮崎へ行った。
一度だけラクテンチへ行った。
めったに旅行しなかったけど、城島高原へ行った。

毎年行った場所より、たった一度の旅行が強く残ることもあります。

むしろ普段旅行しない家庭だからこそ、

朝早く出発したこと。
車の中で食べたもの。
見たことのない景色。

全部が特別になる。

子どもの頃の思い出は、**回数よりも「普段とどれだけ違ったか」**で残るのかもしれません。


13)行かなかった側にも、ちゃんと夏休みの記憶がある

「夏休みに家族旅行へ行かなかった」

という記憶も、今回かなりありました。

県内の実家へ帰るだけ。

友達がいろんな場所へ旅行するのを見て、うらやましかった。

親が忙しくて、遠出はしなかった。

五人きょうだいで、昭和30年代には特に旅行をしなかった。

でも、その人たちにも夏休みの記憶はあります。

山内流。
虫取り。
学校のプール。
川遊び。
友達との時間。

「旅行へ行かなかった=思い出がない」ではありません。

むしろ昔の夏休みは、毎日の遊びそのものが思い出だった人も多かったんやと思います。


14)大人になって分かる、「近場もよかったんやなぁ」

子どもの頃には、

「なんでうちはここしか行かんの?」

と思っていた場所も、大人になると見え方が変わります。

毎年、大野郡清川村へ行っていた人は、当時、

「海もないし、高原もないし、温泉もないし、つまらんなぁ」

と感じていたそうです。

でも大人になった今、

「自分が知らなかっただけで、実はしんけん良いところやったんじゃないか」

と思うようになった。

これは、今回の企画らしい記憶だと思います。

子どもの頃は「もっと遠くへ行きたい」。

大人になると、

「あそこ、よかったんやなぁ」

と思う。

距離ではなく、その場所で誰と何をしたかの方が、あとから大事になってくるんよね。


15)結局、大分県民の子どもの頃の夏休みは、どこへ行きよった?

今回出てきた夏休みのお出かけを並べると、本当にさまざまです。

祖父母・親戚の家。

ラクテンチ。
高崎山。
マリンパレス。
アフリカンサファリ。
城島高原。
トキハ。

海水浴。
釣り。
夜市。
花火大会。
子ども会のキャンプ。

そして、

宮崎。
鹿児島。
長崎。
四国。
神戸。
仙台。

一方で、

「特にどこにも行かなかった」

という夏休みもありました。

こうして見ると、「大分県民は夏休みにここへ行った」という一つの答えはありません。

むしろ家庭ごとの事情が、そのまま夏休みの形になっていたように感じます。


まとめ――旅行先より、「誰とどう過ごしたか」が残っている

子どもの頃の夏休みを振り返ると、場所の名前より先に浮かんでくるものがあります。

じいちゃん・ばあちゃんの家。

親の運転する車。

電車の窓。

海で泳いだこと。

魚釣り。

トキハの屋上。

ラクテンチのアヒル。

車の中で食べたカップ焼きそば。

キャンプファイヤー。

農作業の手伝い。

そして、毎日遊んだ近所の友達。

遠くへ旅行した夏もあれば、ほとんど家の近くで過ごした夏もある。

でも何十年たっても残っているのは、

どこへ行ったか以上に、その時誰と何をしよったか

なのかもしれません。

「夏休み、どこ連れて行ってもらった?」

という質問から見えてきたのは、旅行先のランキングではありませんでした。

それぞれの家庭にあった、それぞれ違う大分の夏休みの風景だったんやと思います。


※この記事は、SNSで行った「子どもの頃、夏休みは家族でどっか行きよった?」という呼びかけに寄せられた声をもとに整理したものです。


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