祇園、夜市、盆踊り、花火――大分県民の記憶に残る「夏の夜」
子どもの頃、夏祭りに行きよった?
浴衣や甚平を着て、いつもより少し遅い時間に家を出る。
遠くから祭囃子が聞こえてきて、近づくにつれて屋台の明かりが見えてくる。
りんご飴。
綿菓子。
金魚すくい。
輪投げ。
焼きそば。
花火。
大分県民に子どもの頃の夏祭りについて聞いてみると、有名な祭りから町内の小さな盆踊り、商店街の夜市まで、いろんな記憶が出てきました。
でも、話をたどっていくと見えてきたのは、祭りそのもの以上に、
「夜なのに外を歩いていい」
という特別感でした。
今回は、大分県民の記憶に残る夏祭りの風景をたどってみます。
1)夏祭りは、大分県内のあちこちにあった

今回名前が挙がった祭りを見てみると、本当に県内各地に広がっています。
大分市では、
- 大分七夕まつり
- 府内戦紙
- 鶴崎踊り
- 南大分夏まつり
- 明野祭り
- 長浜神社の祭り
- 賀来の市
- 浜の市
など。
県北では、中津祇園、鶴市、宇佐神宮の夏越祭り。
県南では、臼杵祇園まつり、津久見の港まつりや花火大会。
さらに、日田祇園、杵築天神祭り、竹田七夕まつり、湯布院の盆地祭り、姫島の盆踊りなど、地域ごとに違う夏の風景がありました。
一方で、「地元には大きな祭りがなかった」「親に連れて行ってもらわないと行けなかった」という地域もあります。
同じ大分県でも、夏祭りとの距離はかなり違ったようです。
2)大分市では、七夕・府内戦紙・鶴崎踊り・地域の祭り

大分市で特に多く名前が挙がったのが、大分七夕まつりです。
子どもの頃から家族で行った人。
90年代に毎年友達と行くのが恒例だった人。
高校生になって友達だけで行き、「ちょっと大人になった」と感じた人。
同じ祭りでも、年代によって思い出が変わっています。
府内戦紙や花火大会、南大分夏まつり、明野祭り、長浜の祭りなども挙がりました。
鶴崎踊りについては、
「浴衣を着て見に行った」
「197号線の両側に屋台が並んでいた」
「踊り子さんの衣装がきれいだった」
という記憶も。
大分市と一口に言っても、中心部の大きな祭りから地域の祭りまで、子どもが夏を感じる場所はいくつもあったんやね。
3)日田・中津・臼杵――祇園祭が夏を知らせる

大分県の夏祭りを語るうえで外せないのが祇園祭です。
かぼみ補足として、日田祇園、中津祇園、臼杵祇園まつりは「大分県の三大祇園」として知られる三つの歴史ある祭りです。
日田祇園
日田では、山鉾そのものが夏の記憶になっていました。
現在は隈地区と豆田地区で行われていますが、豆田地区では一時途切れていた時期があり、子どもの頃は隈地区まで飾り山を見に行ったという声もあります。
祭り最終日の夜に山鉾が集まる風景や、山鉾を片付ける時にもらった飾りを玄関に飾った記憶も残っています。
中津祇園
中津では、
「祇園が来ると夏休みが始まり、鶴市が来ると夏休みが終わる」
という、とても印象的な声がありました。
カレンダーではなく祭りで夏休みの始まりと終わりを感じる。
それだけ地域の暮らしと祭りが結びついちょったんやと思います。
臼杵祇園まつり
臼杵でも祇園祭の記憶は強く、
「練習が始まると夏が来たと思った」
という声がありました。
祭り当日だけではなく、町から囃子や練習の音が聞こえ始めた時点で、もう夏が始まっている。
地域の祭りならではの感覚です。
4)津久見・別府・杵築・宇佐――花火まで含めて夏祭り

夏祭りの記憶には、花火も欠かせません。
津久見では、港まつりの花火大会。
海から見る花火がよかったという声や、
- 水中花火
- 仕掛け花火
- ナイアガラ
など、昔の大規模な花火を覚えている人もいました。
県外からも人が訪れ、帰り道は大渋滞。
大分弁でいうところの「一寸ずり」状態だったという記憶まで残っています。
別府では火の海まつり。
近くで花火を見た思い出がある一方、「帰るのに時間がかかるので行かなくなった」という大人になってからの現実的な声も。
杵築では天神祭り。
宇佐では宇佐神宮の夏越祭り。
子どもの頃には、祭りの由来よりも、
「今年も屋台に行ける」
「花火が見られる」
ということの方が大事だった人も多かったんやろうね。
5)姫島には、地区ごとに違う盆踊りがある

姫島村からは、地域色の強い盆踊りの記憶が寄せられました。
姫島の盆踊りでは、地区によって踊りが異なります。
歌舞伎を取り入れた踊りや、子どもたちがキツネに扮して踊る「キツネ踊り」など、独特の踊りが受け継がれています。
子どもが見るだけではなく、子ども自身が祭りの一部になる。
これは、屋台や花火を見に行く祭りとはまた違う夏祭りの形です。
地域によって「祭りを見る側」と「祭りを作る側」の距離が違うことも、今回の声から見えてきました。
6)大きな祭りだけじゃない。町内の盆踊りが夏祭りだった

大きな祭りへ行った記憶がない人でも、町内の盆踊りを覚えている人はいました。
公園や公民館に集まり、みんなで踊る。
子どもにはお菓子が配られる。
うちわに番号が書いてあり、当たりが出たら景品がもらえる。
「チキリンばやしを頑張って踊った」という声もありました。
日出町の田舎で育った人からは、
「大きな夏祭りは親に頼まないと行けなかった。唯一あったのが地域の公民館の盆踊りだった」
という記憶も。
華やかな大規模イベントだけが「夏祭り」ではありません。
子どもにとっては、家から歩いて行ける公民館や公園の盆踊りも、十分に特別な夏の夜だったんよね。
7)「祭りじゃないけど夜市」が、しんけん楽しみだった

今回かなり多かったのが、
「祭りとは違うかもしれんけど、夜市が楽しみだった」
という声です。
竹町商店街の夜市。
臼杵の夜市。
中津の土曜夜市。
地域の商店街で開かれていた夜市。
昔は今ほど遅くまで店が開いていない時代。
普段なら家にいる時間に、商店街を歩ける。
お店も明るい。
人がたくさんいる。
友達にも会う。
浴衣姿の人もいる。
それだけで十分に非日常でした。
「夜市がいつあるのか、ソワソワして待っていた」という記憶もあります。
祭りの名称よりも、夜の商店街が明るくなること自体がイベントだったんやね。
8)子どもの祭りは、夜店でできている

大人になって祭りを思い返した時、意外と細かく覚えているのが夜店です。
今回も、
- りんご飴
- 焼きりんご
- 綿菓子
- 金魚すくい
- 輪投げ
- フランクフルト
- 焼きそば
- 焼き鳥
などが出てきました。
杵築天神祭りでは、毎回りんご飴を買ってもらった。
津久見の祭りでは、金魚すくいや綿菓子がキラキラした思い出として残っている。
明野祭りでは、友達がひたすらフランクフルトを買っていた。
祭り全体の様子は忘れていても、
「あそこで毎回これを買いよった」
という記憶は妙に消えません。
子どもの頃の夏祭りって、案外「食べたもの」で記憶しちょるのかもしれんね。
9)100円、1000円で遊べた夏祭り

お小遣いの記憶も出てきました。
宇佐方面では、昔のお小遣いが100円だったという声。
別の人からは、
「昔は1000円持っていけば、何でもできた気がする。今は1000円では足りない」
という声もありました。
限られたお金を握りしめて、
何を買うか。
何回ゲームをするか。
最後に何円残すか。
子どもにとって夏祭りは、ちょっとした予算会議の場でもあります。
全部欲しい。
でも全部は買えない。
だからこそ、一つ買ってもらったり、自分で選んだりした物が、何十年たっても記憶に残るんやろうね。
10)一番特別だったのは、「夜に外を歩けること」

今回のコメントの中で、夏祭りの本質を一番よく表しているように感じたのが、
「夜、外出できるのが新鮮だった」
という声です。
普段なら家にいる時間。
でも祭りの日だけは、夜の道を歩ける。
商店街は明るい。
友達がいる。
浴衣姿の人が歩いている。
屋台の灯りが並んでいる。
子どもにとっては、これだけで特別です。
別の人からは、
「子どもの頃、地元の祭りの明るさや賑わいが特別だった。その後、初めて東京の夜を歩いて、毎日夜市みたいに明るい場所に住んでみたいと思った」
という思い出もありました。
今ではコンビニも大型店も夜遅くまで開いています。
でも昔は、町全体が夜まで起きていることそのものがイベントだったんよね。
11)家族と行く祭りから、友達と行く祭りへ

子どもの成長によって、祭りの意味も変わります。
小さい頃は、親と行く。
手をつないで屋台を見て、欲しいものを買ってもらう。
少し大きくなると、友達と行く。
高校生になって友達同士で七夕まつりへ行き、
「ちょっと大人になったな」
と感じたという声もありました。
祭りそのものは毎年同じでも、
親と歩いた祭り。
友達と歩いた祭り。
恋人と行った祭り。
今度は自分の子どもを連れて行く祭り。
自分の立場が変わるたびに、同じ場所でも違って見えるんやと思います。
12)祭囃子が聞こえ始めると、「夏が来た」

祭り当日だけが祭りではありません。
今回、とても印象的だったのが、
「臼杵祇園の練習が始まると、夏だなと思った」
という声です。
ほかにも、
「祭囃子の練習が始まる頃が、夏休みの合図だった」
という記憶がありました。
町のどこかから太鼓や笛の音が聞こえてくる。
まだ祭り当日ではない。
でも、
「あ、今年もこの季節が来た」
と分かる。
中津では祇園が夏休みの始まり、鶴市が夏休みの終わり。
昔の子どもたちは、カレンダーだけではなく、地域の音で夏の時間を感じていたのかもしれません。
13)行きたくても、行けなかった祭りもある

もちろん、全員が毎年祭りへ行けたわけではありません。
田舎に住んでいて、祭り会場までは遠い。
車がなければ行けない。
子どもだけでは行けないので、親に連れて行ってもらう必要がある。
別府火の海まつりを知っていたけれど、遠くて行けなかったという人もいました。
夜市があったけれど、家族が連れて行ってくれなかったという記憶もあります。
だからこそ、
「今年は行ける」
となった時のうれしさは大きかったのかもしれません。
行った祭りの思い出だけではなく、行きたかった祭りの記憶も夏には残っています。
14)大人になると、祭りとの距離も変わる

子どもの頃は、あんなに楽しみだった夏祭り。
でも大人になると少し事情が変わります。
車で行けば渋滞。
駐車場を探す。
帰りに時間がかかる。
人混みも大変。
「子どもの頃はよく行ったけど、大人になってから行かなくなった」という声もありました。
一方で、今でも毎年賀来の市へ行くという人や、自分の子どもを連れて祭りへ行った人もいます。
昔、自分が親に連れて行ってもらった場所へ、今度は自分が子どもを連れて行く。
夏祭りは、そうやって世代をまたいで残っていくものでもあるんやろうね。
まとめ――祭りの名前より、夏の夜そのものが残っている

大分県民に子どもの頃の夏祭りを聞いてみると、県内各地のいろんな祭りが出てきました。
- 大分七夕まつり。
- 府内戦紙。
- 鶴崎踊り。
- 日田祇園。
- 中津祇園。
- 臼杵祇園まつり。
- 宇佐神宮の夏越祭り。
- 別府火の海まつり。
- 津久見の港まつり。
- 杵築天神祭り。
- 竹田七夕まつり。
- 姫島の盆踊り。
そして、名前のない町内の盆踊りや、商店街の夜市。
でも何十年たっても残っているのは、祭りの正式名称だけではありません。
祭囃子が聞こえたこと。
浴衣を着たこと。
お小遣いを握りしめたこと。
りんご飴を買ってもらったこと。
友達に会ったこと。
花火を見上げたこと。
そして何より、
いつもなら家にいる時間に、夜の町を歩けたこと。
子どもにとっての夏祭りは、「何を見たか」よりも、普段とは違う夜を過ごせたことそのものが特別だったのかもしれません。
祭りの名前を聞いた時、思い出すのは屋台や花火だけじゃない。
あの頃の町の明るさや、一緒に歩いた人まで戻ってくる。
それが、大分県民それぞれの「夏祭りの記憶」なんやろうね。
※この記事は、SNSで行った「子どもの頃、夏祭りに行きよった?」という呼びかけに寄せられた声をもとに整理したものです。
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