「外に出て、空を見上げる」ということ。忘れていても思い出せば、知らなければ、今見上げればいい。

えんどうさんちです。

日頃、目にうつるモノ。じつはすげーなぁとおもったりする。

 

すぐに忘れちゃうけど。

 

けどそれは、また見て、思い出せばいい。

 

それだけのことなんだろうなぁ・・・それだけな記事。

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「外に出て、空を見上げる」という当たり前のこと。

と、アンニュイ気分で記事を書こうと思ったけど、書ける自信がない

 

Σ(・∀・;)

 

そもそも、アンニュイってなんだっけ?

 

 

 

 

→→→→→けだるさそうな、退屈そうな。

 

 

 

…ごめんなさい。
知りませんでしたΣ(・∀・;)

 

 

まぁ、現実的な部分をかいてみようとおもう。

 

ふだんはプログラムやブログ記事を書いたりで、「パソコンのお仕事」をして引ここもってもぐらさんになってます。

 

それで昼前ぐらいに、何気にふっと外にでたんです。
そして、空を見あげてみたんですよね。

…あ、山奥の人里はなれたところだ。

 

 

じゃなくて、

 

すごく「空」が青く感じて、ついつい写真をとってしまいました。

 

「空気が、透きとおってた」

 

という表現がいいかな。気持ちがよかった。

ただ、それだけ。でもなんだか懐かしい感じがしました。
「あぁ、小学校の頃の夏休みの”空気”ってこんなのだったかな?」

 

 

って。
そのときも、空を見上げていたのかな?っておもったり。

 

 

そんな、気分なもんだから、ちょっと「冒険心」もでる。

 

 

それから夕方になり

 

保育園にいる息子さんを、10分だけ早くおむかえにいき、
そのまま、嫁のおむかえで市役所へまで。

 

もちろん、早く着いたので、裏の海岸沿いにおりてみる。

 

 

「カニ、さがすー。」

 

 

そんな感じで、息子さんはうれしそう。
ぼちぼちとあるいて行ってみる。

 

 

潮が引いていて、遠浅になってた。

 

 

こういう場所を歩いた記憶は、わたしの少年時代にはあまりない。

 

 

知らなければ、思い出すこともない。
だけど、新鮮な気持ちでいい気分。これはこれで心地良い。

 

 

知らなければ、今、見れば良いのかな。

 

 

そんな気持ちはさておいて、

 

息子さんはせわしなく、遠くに走って行ってしまった。
靴はびしょびしょ。あんなに小さくなっている。

IMG_2002

こんな空もわたしは知らない。

 

 

知らなければ、今、見れば良いのかな。

 

 

息子さんと同じように。
感覚はボケちゃうかもしれないけど、時間は平等。

 

 

臼杵は「見渡せば」いいところ。
都会じゃないけど、「海」も、「山」も、「小さな町」もある。

 

 

小さい頃は知らなかったな、地元のこと。

 

 

子供の時の気持ちを思い出さなければ、こういう気分にはならなかったので

 

 

「あぁ、たまには空を見上げて見よう」

 

 

今、見え上げた空も、また何年後かにおもいだすのかな?

 

 

…どう?アンニュイぽくなった?

 

 

Σ(・∀・;)